No.50 嗚呼、東芝のダイナブック・・・今は海外資本のパソコンとは

夢(DREAM、ドリーム)の話をしても良いでしょうか?正確にはDREAM-1(ドリームワン)です。

あちこちひっくり返して、ちょっと見つからない。1982年刊行ということだから、ちょうど今から40年前です。懐かしいなぁ。別冊サイエンスという雑誌で「パーソナルコンピュータ」をテーマにしたものです。表紙の絵が良いでしょう。40年前にはこういうものはありませんでした。夢のパソコンです。(手元に本誌が無かったので、この絵は借り物です)

ええ?って思いますか?(笑)

ノートパソコンが世の中に出てきたのは、1989年の東芝ダイナブック(J-3100SS)が最初です。コンピュータはこんなに小さくは出来ないよ・・・と思っていました。

大体、モニター(ディスプレイ)がこんなに小さい訳がない。ディスプレイは当時、いわゆるブラウン管(電子管)で、ある程度の奥行きが必要ですから、こんなに薄くはならないのです。当時、液晶画面は電卓でしか知りませんでした。カラーではありません。

カラー表示のディスプレイはブラウン管だから・・・と思い込んでいました。それでこの絵を見せられて、DREAM-1と書いてあります。確かに「夢」だよね・・・と思いました。
このコンピュータは「ダイナブック」という名称で呼ばれるものでした。

昔、アメリカのコンピュータ学者でアラン・ケイという天才がいて、私より少し年上の世代ですが、パソコンはこういうものだと提示したのです。それのイメージを絵にした一つがDREAM-1です。当時、パソコンは世の中に出てきていましたが、全て今で言うデスクトップPCでした。アラン・ケイはパソコンは持ち運びが可能で、一人が一つ持っていて使う・・・というイメージを持っていました。

子供でも使えるように、グラフィカルな画面になっていて、キーボードはありますが、操作用に手の中に収まる操作装置か、スティックのような操作装置を考えていました。画面はカラーで表示されていて、大型コンピュータやパソコン同士が通信して情報交換できます。そういうものを「ダイナブック」というと彼は言いました。

夢だよね・・・別冊サイエンスの編集者や監修者(石田晴久:東大教授)も思ったのでしょう。それでこんな表紙になった・・・と私は想像しています。

この雑誌が出てから7年後に東芝がJ3100-SS(通称:ダイナブック)を発売するとは思いもよらなかった。最初のダイナブックはモノクロ画面だったかと思います。でも、ノートブックPCです。持ち運びも簡単なMS-DOSのパソコンです。

感動しました。夢が現実になった。

今の若い人たちはノートブックPCはもちろん、スマホも当たり前の世代ですから、私の気持ちは分からないかもね(笑)

技術の世界、技術の進歩はとても速い・・・ということですね。私はパソコンが世の中に無い時代に生まれ、初期のパソコンを見て使って、今やスマホまでが日常生活で使われる時代に生きている。私が使った最初のパソコンのメモリーが128KBだったって言ったら・・・何それ?とか思うでしょ。

さて、技術の進歩も速いのですが、世の中の栄枯盛衰とはこういうことだ・・・と実感しています。東芝が世界初のノートブックPCを世に出し、その他の日本のパソコンメーカー(富士通、NEC、シャープ、日立、パナソニック、ソニー・・・)が山ほどパソコンを製造・販売してきましたが、今や、ホントの日本製はほとんどありません。

東芝のパソコン事業は、経営不振でシャープに売られ、シャープは台湾企業の傘下(子会社)ですから、東芝も台湾資本ということです。製造はおそらくですが、中国本土かベトナム辺りで作っていると思います。

私たちの世代が情けなかったのか、日本の技術がどんどん海外に流れていく・・・この状況を止められませんでしたね。単に技術者や企業の問題だけではない、国際経済や政治も絡む難しい課題です。

日本のIT業界でも、もちろん世界でも、夢があった・・・そのいくらかは既にかなったというお話です。これからに期待したいですね。

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